あれから30年になりそう。元CRPS 神経 疼痛 カウザルギー

医療の目は時に節穴。どうせ生きる人生なら笑って生きよう。本当は神経傷ついているかもに変化。相談とかは受け付けてないよ。まだお婆ちゃんではない。人生は修行である。

記憶と経験。CRPS治るのか?治らないのか?自己管理、リハビリ。

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【私の経験と記憶】

 

CRPS 複合性局所疼痛症候群 

 

RSD 反射性交感神経性ジストロフィーについて

 

経験と記憶を辿りながら、書き出して行こうと思っています。

 

 

 

私の頃はCRPSと言う呼び名はなく(あったかもしれないけど、まだ揉めてたかも)

 

反射性交感神経性ジストロフィー略してRSD(Reflex Sympathetic Dystrophy)

 

またはカウザルギーと言う呼び名でした。

 

(医者はRSDと言ってたけど、PTさんはカウザルギーだと思うと言ってました。時代が進み数年後出会ったスポーツドクターも傷はついているだろうとの見解でした。)

 

 

まだ神経ブロックもさほどない時代。
特に日本は遅れていて、何も無いに等しかった。

 

今よりもRSDやCRPSを知っている医者はおらず

 

「は?何それ?お前が新しく作ったのかよ!」と言われること

 

99.9999999999999…%

 

 

 

当時は呼び方一つ取っても喧嘩の如く分断されていて

 

(そもそも認知率なかったから5年以上経過してからの話しをまとめた経験談

 

CRPSと言う医者と、RSDと言う医者、

 

症状からしてカウザルギーだろうという医者、

 

ついでに訳の分からない医者はニューロパチーじゃねぇの?とか

 

そんなの気分の問題だろ。精神疾患だろお前、牢獄入ってろよ。

 

などと言い張る医者など沢山いました。

 

(人の心を築けることを楽しむ、暴言を吐く医者はある一定数存在しています。そういう医者の大人げない言動は、その場でスルーしてブログのネタにでもして下さい。頭に来なくなるどころか、ネタが出来るので脳内を喜びで満たすことが出来ます(笑))

 

 

 

患者としては、呼び名とかそんなことはどうでもいいから、治るのか?これが何なのか?

 

私の身体の中は、一瞬にしてどうなってしまったのか?未成年ながらに知りたい気持ちだけでした。

 

(医者からすれば、ある程度の目星をつけて診断を下し、それに見合った治療を計画し遂行していかねばならず、診断は大事ですけどね。←患者としてはこんなことも身に付いた。今となっては理解ある付き添い人や患者扱いですよ。随分と当時と待遇が違うもんです(;¬_¬)私の対応の良さは何も変わってません。)

 

 

私の主な症状(記憶にある限り)
  • 爪が伸びない
  • 皮膚が紫がかった斑模様(チアノーゼ)
  • 血流はほぼなく、ギリギリ流れてる状態
  • 大好きだったお風呂は地獄へ
  • シャワーはまるで刀の雨
  • テレビの音による振動
  • 自分の歩く振動も辛い
  • 声の振動黒板のチョークからの振動も全て地獄
  • 個人的には路線バスのエンジンの振動が一番辛かった
  • でも、自転車は乗りたくて乗ってた(のちに怒られる( ̄∇ ̄)エヘヘ)

 

筋力は一気に落ちて、体重も減りました。

 

痛いし筋肉がそぎ落とされていれば、そりゃ体重も減りますね。

 

元々、体重が増える体質ではないので保つのも中々、格闘したものです。

 

 

 

f:id:kaulaila:20191213192430p:plain当時、入院で5時間程度かけて

モルヒネなどの点滴をするのが主流の治療でした。

 

 


しかし私は未成年。

 

 

一番初めに運よく隅々まで、病名や症状を熟知していた医者。

 

モルヒネなどの治療に対して、かなりの葛藤があること

 

(二十歳にすらなってなかったから、将来を案じて。前例がないからどうなるか分からなかったなど)

 

70歳とか40歳ならいいんだけど…と理由や心境、考えを話して下さいました。

 

当時は、医者の偏見と独断の時代。

 

患者が選べることすらも、あり得ない世界。(昭和か!ヾ(--;))

 

 

偶然行った病院は至って普通の街の病院。

勉強が出来るシステムは一切ありませんでした。

 

喫煙所が入り口の中のフロアに大きくある、そんな時代。

完治の見込みがないことが前提の治療の開始。

 

完治の見込みのない入院は強制できないって(ラッキー)

入院は絶対にしたくないとの強い意思を示し(笑) 通院することが許されました。

 

当時は入院が絶対の時代に、これはとても画期的なことでした。

 

私は無理を言って医者と患者の2人の間で交わされた条例?!を守ることを前提に、通院希望を貫き通し許可が出ました。記憶の限り条件は以下の通りです。

 

  • 食事療法で徹底的な食事管理
  • 入院と同じサイクルで就寝する(高校時代は無理だったので9時半)
  • ジャンクフード禁止(ファーストフードなど)
  • お菓子・ジュース禁止
  • カルシウム摂取必須
  • ビタミンEを効率よく摂取する
  • 常にバランスの取れた食事(なるべく和食)
  • 人にぶつかったり、刺激しないようにする
  • 腕を吊るしていたので、寝る時間以外三角巾を外さない。(高さ、角度も重要)

 

結果として、入院しなかったことも含めすべてが功を奏すこととなりました。

それに驚いた担当医。

私以降の患者さんは、その医師担当になると皆なるべく通院になりました。

 

元々ジャンクフードは好んで食べることもなく

お菓子やジュースもあまり食べない食生活だったので、特に問題ありませんでした。

 

食事もかなり大切です。細胞を形成するのは口から入る食べ物が全てですから。

 

 

この病態は、少しでも早く治療を開始することで予後が比較的良いと言われています。

 

(患部の扱われ方によっては、そうではなかった人を私は見た。)

 

 

 

私は、初診からの早い段階で判断がなされたため、

壊死寸前の非常にキリキリした状態ではありましたが(初めから危険な状態)

かなり早い段階で低出力レーザーを開始来たこと覚えています。

 

知識のない医者だったら、今頃、壊死か切断していたかもしれません。

(切断して欲しいと自分から懇願したこともあった。それも後悔はしてない。ちなみに今は両腕ある)

 

 

未成年ながらに、完治の見込みがないことは怪我をした瞬間に悟りました。本人は冷静なものです。

 

本能的に察知したという表現が正しいでしょう。

肘の内側の尺骨神経が大きなものにより、

強い圧迫を受けグリグリと腕が圧迫されたまま回されて捩れてしまったからです。

 

橈骨も正中神経も傷めており、猿手や鷲手にもなりました。

 

骨折しちゃえば、良かったらしいのですが

 

骨が細いのに頑丈過ぎて折れなかったから、神経傷めたんですって😱😭

 

病院の治療や薬だけに頼らず、自分で出来ることはとことんやって下さい。

文句や愚痴を言ってる暇はありません。

とにかく、生活出来るように自分で出来るリハビリを行うのです。

 

 

 

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