あれから30年になりそう。元CRPS 神経 疼痛 カウザルギー

医療の目は時に節穴。どうせ生きる人生なら笑って生きよう。本当は神経傷ついているかもに変化。相談とかは受け付けてないよ。まだお婆ちゃんではない。人生は修行である。

答えを知りたがる

人と言うのは、何か目標や目的ゴールが見えなければ不安になることもある。

 

この疾患を抱えて25年間。抱えてから感じる世の中に対する思案というのは

現代人は予め答えを見付けたがる人が多いと言うこと。

 

戦地を経験した祖父世代は、そうではなかったと言う印象があります。

世の中には分からないことの方が多く、先が見えない中で

自分の足元や目の前だけを見て、その日、その日を一生懸命生き抜いてゆく。

 

時の流れの早い現代では、そのような生き方は白い目でみられがちと感じる。

実際、客観的にこれが歴史になっていくことなんだと思ったりしてみると

そんなに人生って答えがあるものではないし、今も昔も似たような悩みや不安があって

 

ITだったり、通信だったりは発達しているけれど

人間の持つ根本的な部分ってのは、そこまで進化してないと感じている。

ただ、知ったつもりになって勘違いしている人が増えただけ。

 

これは、高校生の頃に気付いたこと。

 

子育てでも答えを求める人が多すぎる。

 

答えを求めて生きると言うのは、楽だからなんだよね。

手探りで試行錯誤と失敗や苦悶を繰り返し、カメの如く人より遅い歩みで

自分の経験から導き出し、次の策を練る。

 

子どもで言えば、叱り方なんかがそうかもしれない。

 

こういう言い方で良かったのか?

もっと他に、その子に合わせた言い方があったのではないか?

社員でも同じかもしれないですね。

 

今は大学へ行く子が増えましたが、その分

教科書通りの枠の中だけで出来ると勘違いして生きる人が増えた。

 

塾にも通うから、自分で勉強方法を開発せず教わった通りに学ぶだけ。

とてもシンプルで、簡単で与えられたことをすればいい。

 

容赦なく降りかかる人生の苦痛や、右も左も分からない大きな問題が降り注ぎ

それを真っ暗闇の中、同じ境遇の人がいる訳でもなく

共感もなく、孤独にさいなまれながら

自分の足で、自分の足元を見つめながら

目の前に降りかかり前が見えない真っ暗なトンネルを手探りで生き抜く。

 

そんなことを受け入れられない人が増えたと強く感じています。

これはCRPSと宣告されたことで病院に通うどころか、住人と医者に呼ばれるレベルで

そこにいたからこそ、分かったことでもある

 

社会復帰の為の闘病なのに医療従事者が心底底意地悪かったからこその

気付きでもあったと思う。未成年にやってきていたんだから。大人が。

 

健康で何も考えずに、ただバカやって楽しい青春を過ごすだけ。

それは、一見平和で幸せなことに見えるけれど

経験値は何もない。

 

だから精神的な成熟もない。我慢も出来ない。

 

前頭葉を育てるのって我慢ですからね。

知性を育てるのは勉強や大学に行く事だけではありませんし

 

日本の大学は教育の最高機関なので、研究などの志がなければ

アメリカとはシステムが違うので、意味がない。

 

アメリカでは、大学卒業者はボランティア精神、活動履歴が必要ですし

頭のいいとされる大学では人柄も重要だったりします。

 

日本では偏屈でも、性格悪くても、ボランティア精神なくても

学校の勉強だけ出来れば入れますから。

 

 

そういう環境が、常に答えを求めたり

健康でいつでも自由に動けるパーフェクトな人生を求めるのだろうなと

 

様々なことを言われたり、されたり打ちのめされたりして生き抜いてて

感じたことです。

 

まさに、生き抜くと言う言葉がピッタリ当てはまる。

人生ってそんなもんだと思うのです。

 

苦しい人は歴史を学んでみて欲しいと思いますし

何かを築き上げたとされる歴史上の人物を1人、深く掘り下げて学んでみて欲しいと思います。

 

夏目漱石なんて、この世は生きにくいと散々言ってますもんね(笑)

いつの時代も、その時代を生きた人は生きにくい世の中だと思ってるんですよね。

 

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